昭和45年7月27日  夕方の御理解



  むだるような熱さの中に、え~、まあ修行させて頂いておるわけですが、それでもこう、まあ、時折もう冷た~い風が、すーっとこう入ってくるような時は、何かもう本当に、助かる思いがいたしますね、また、今日は良い話を聞いた、良いものを見たと、いう時にはそれこそ何か知らん、こう清涼剤を飲んだような気がするといったようなことを申しますがね、私共はその、信心さして頂く者なら本当の意味においてそういう清涼剤とも、またはあんなら、暑い時に、え~、そよっとでも良い、あの冷たい涼しい風がうだるような苦しい中に、こうそそがれると言うか、まあそういうぞんざいでありたいと思いますですね、信心さして頂く者はそうでなからなければならないと思うです、ところが信心が、例えば熱烈になって来ますと、返ってその、お~、信心のない人達から、信心の匂いと言うか、それがプンプンような、という風に言われる時代もやっぱりあります、あ~今日も、四・五人の方々と話したことですけれども、今日の朝の御理解の中にあの、福岡のマナゴさんと言う、人のお話が出ましたね、私お話にまいります時に、あちらのマナゴさんが、おかげを、お~、私の事で神様からお知らせを頂いておられて、それは丁度、その~、ん~、私のお話を頂いておる人達、当時のね、本当にその信心の、お~妙と言うか、その信心の奥賀と言うか、そういうものを聞かせて頂いて、一つの法悦と言うか、信心の喜びに浸って、有り難い有り難いと言うておる人もあるけれども、え~その反面には、あの信心の匂いにもう辟易としておる人達もやはりあったということ、それは丁度お風呂がこう炊かれておる、そのお風呂を炊いておるのがね、ゴムの草履の古いのとか、長靴とか、ゴムタイヤの古いのとかを炊いて、その、お~お湯を沸かしておるというようなお知らせだったろう、だからお風呂入っておる者は、極楽と言うておる、その周辺の人はその匂いで、いわゆるそのプンプンする匂いで嫌な思いをしておったという、熱烈さのあまりにそういうことはまあ、あ~ありますね、まあまたむしろそういうところは一辺は通らなければ、いけないとも思いますけれども、それが一生であってはならないということですね、あまり熱烈のあまりに、その皆からそういう意味で毛嫌いされるようなことがあってはならない、ためにはですね、本当にまあ信心に匂いではなくて信心の香りとでも申しましょうかね、信心のおぉまあ香りのようなものが、言うなら酒の匂いは嫌だけれど、酒の香りは酒を飲まん者でも良いなぁといったような持ち味と言うか、そういう味合いの出せれる信心を、頂きたいなとこう思いますね、やはり神様を信じきれれる人、神様の教えて下さる教えに徹っ、徹しぬいておる人、そういう人達の、中身からそういうものがねまあ生まれてくるのじゃないだろうかと、暑い時にその人が家の中に入ってくると家の中が明るうなるような、「はらぁあなたの顔を見たら心配がほっと飛んでしもうたような」と言われるような人がやっぱりありますね世の中には、ね、本当に、え~清涼剤を飲んだような、と、いうようなね、良い事を聞いたり見たりしますというような、そういう私は清涼剤であり、まあ夏ならば冷たい風であり、であり、ね、または信心の匂いが香りに変わっていくようなおかげを頂いて行きたい、それにはどうでも今朝からの御理解のように、確固たる、固い決心、固い心を持ってです、一つの事が本当の事が行じぬかれる、そこから身に徳を受ける、そこから本当のおかげを受けられるという風に思うですね。
  今朝のその御理解の後に、今日は久留米の佐田さんのところで、ここ一・二ヶ月あの、今度三橋先生が学院に行かれたので、久留米一区支部の、共励会がなされておりませんでしたけれど、久留米の方達が皆話し合って佐田さんのお宅でそれを続けようということになりましてね、今晩皆あちらの方へ行ってるんです、それで今日、え~どういうような、あぁテーマで、お話しを、あしたら、お、あ、お話を進めて行ったら良かろうかと申しますから、今日あの若先生が今朝の御理解を頂いていなかったから、改めて今朝の御理解を頂いて、どうじにあの今朝から佐田さんところのあの小さい、今三年生です、二年生ですかあの、圭介君が今朝から頂いたお夢のことを、まあ話してそれをテーマにしたらどうかと言うて、まあ話したことですけれどね、もう今朝の御理解をそのまま、圭介君が頂いてるんですね、その確固たる、そのお~固い心えお持って向かうということは、例えよし、なら相撲取りが土俵上で相手に投げ殺されても文句は言わんというほどしの固い心、信心しておってよし右が左になろうがです、神様を恨むようなことじゃないというような信心、そういうような信心のこと、もう圭介君が今日は一口で頂いたような感じがするねといったこと、今朝から、あの、夫婦で参ってみえ、まあ圭介君が寝とりますから、もう今日は起こさんでお参りしようっち言いよった、そしたら圭介君が飛び下りてきてから、「お母さんお母さん僕は御神夢を頂いた」っち言うちから起きてきたっち、「どういうこと、何ば頂いたの」っち言うたら、「今日ね海岸にね大きな亀がおってね、その亀の小学校の五年生ぐらいの男の子が、またがった」っち、「またがったらその亀がずーっと海の中に入って行くそのお知らせのお夢じゃった」と言うんだそうです、でそれを今日お届けされますから、いわゆる今朝の御理解をそのまま、そのことで教えて頂いておるような気がするんですよね、亀と言やまあここで私のことと言われる、まあこれは浦島太郎じゃないですけれども、竜宮を本当に行きたいならです、亀の背中に乗らなければいけんって、それを躊躇する、嫌途中でこれは大丈夫じゃろかと思うて、その亀から下りようとするからいけないのだ、もうどこまでもその亀と共に背中にしがみついて、私はその竜宮を目指さなければいけない、いわゆる固い決心固い心がなからなければ出来ることじゃないというまあ御理解なんですけれどね、本当にあの、お~そういうねやはり確固たるものと言うか、固い心を持って教えを行じぬかしてもらうと言うか、自分のものにしてしもうた人の、私は信心の状態の中からね、今日私が申しますような、まあ人の心に清涼剤とも感じられる、それこそ涼しい風とも感じられるほどしのです、ね、ようなものが育って行くんだとこう思います、中途半端なところからは決して、良い本当なものは生まれて来ない、まあ過程においてはです、ね、「お前は、あ~信心気違い」と言われるようなことがあるかもしれません、信心にぼうけてというようなことがあるかもしれません、そういう時には、けれどもやっぱり自分を反省してみると、信心の匂いがしておる時なのですから、それは一つ過程としては仕方がない、そこを私は通りぬかして頂くところに、なるほどあれは信心するから、あの人は信心があるからというようなことになってくるのじゃないでしょうかね。
                                                                        どうぞ。




入力者:誠輝